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社会運動における翻訳ネットワークの形成

品質vs動員

佐々木夏子 訳

Anastasia Lampropoulou

社会運動を組織する際に重要な決定事項の一つは、通訳の問題である。社会フォーラムを組織する時には、そのコストのため通訳についての議論は緊急のものとなる。全ての社会フォーラムの運営委員会にとって通訳チームにかかる費用は最大の支出となるからである。プロの通訳が参加しない場合においてさえも、ボランティアの通訳のためにかかる旅費や宿泊費の合計は予算の1/3に達する。

ギリシア社会フォーラム(以下GSF)が第4回ヨーロッパ社会フォーラム(以下ESF)をアテネで開催することを決定した際、以下のジレンマに直面した。プロの通訳を雇うべきか?あるいは通訳を引き受けるボランティア・ネットワークをギリシアに形成するべきか?この場合は予算の不足のために答えは自明のものであったと言える。その上に、主に政治組織によって構成されているGSFは「社会基盤 social ground」のコンセプトを体現することを望んでいた。この原則によれば、社会フォーラムはオルタナティブな実践とやり方を提案するのみにとどまるべきではなく、それ自身がオルタナティブな過程を経て組織されなければならない。かくして、これについて考えることは単なる成果だけなのではなく、プロセスとしても重要なのであり、運営委員会は通訳と翻訳のボランティア・ネットワークを形成することを決定したのである。それとは別に、ギリシア語はヨーロッパで広く話されている言語ではないので、決定は迅速に下されなければならなかった。結果として、ギリシア社会フォーラムはギリシアにおけるバベル・ネットワークの形成を促進し、そのことは、2002年にフィレンツェで開催された第1回ヨーロッパ社会フォーラム以降、通訳のニーズをカバーしてきたボランティアの通訳者と翻訳者の国際ネットワークの拡大を実際に意味したのである。ESFが多様な言語における通訳をますます必要としていく事情とは独立してバベルは発展し、現在は世界中におよそ9000人のメンバーを数えるに至っている。その活動は通訳サービスを提供するだけにとどまらない。バベル自身が政治的なアクターであり、文化的支配のメカニズムおよび多様な社会運動・市民運動間での思想の普及において言語が占める問題についての議論に参加してきた。バベルの最大の関心は、全ての参加者に自分の選択する言語でコミュニケーションをする機会を与えることにある。バベルは水平的に組織され、そのことは責任をとる人物や委員会が存在しないということを実際に意味する。たいていの場合社会フォーラムを組織する必要とは関係なく形成されるオープンなコーディネーション・グループを通じて運営される。i

本稿では、私はバベルとヨーロッパ社会フォーラムの関係についてのみ、とりわけ第4回ESFに重点をおいて言及する。バベルと世界社会フォーラム(以下WSF)の関係は、とりわけナイロビでの第7回WSFで起こったこと以降、全く異なったものとなっている。

折に降れて、バベルの内部および時には外部で通訳の質についての議論が繰り返される。多くの非難はフォーラム期間中のバベルの仕事について発せられてきた。より正確に言うと、質の低い通訳を提供するためにネットワークは非難を浴びてきたのである。もちろん、この非難は根拠のないものではない。この事実を説明する第一かつもっとも単純な原因はバベルの構成に求められる。バベルのボランティアはプロの通訳だけではない。翻訳家、通訳・翻訳・外国語を勉強する学生、および国際会議を手助けするために一度や二度しろうと丸出しで媒介役を担った政治活動家をも含んでいる。となると、社会フォーラムの運営委員会はバベルがフォーラムの通訳を組織することになぜ固執するのだろう?それに通訳の質の低さを責められるべきはバベルだけだろうか?この介入の目的は、通訳の質は切り離されて検討されるべきではないと示すことにある。質の問題は、バベルの決定と実践のみに関わっているわけではない。ESFの運営委員会によって下される決断、および調整グループのプロフィール同様そのようなものへと導いていった事前集会に密接に関係しているのである。

後者についての話から始めたい。アテネで第4回ESFが開催されることが決まった時、ギリシアにバベルのネットワークは存在していなかった。バベルのデータベースには限られた数のギリシア語通訳者が登録されていて、その主な内訳はブリュッセル在住のプロの通訳者であり、コーディネーションはいかなる形でも存在していなかった。コーディネーション・グループは2名のプロの通訳、2名のプロの翻訳家、2名の翻訳を勉強している学生、2名の精神科医および1名の数学の教師で構成された。その後の数ヶ月の間に、通訳者の内の一人がこれ以上参加したくない、と決心した。別の通訳者はバベルの事前ミーティングに全て参加し経過に密接に関わってきたが、イベントの組織において活発な役割を担うことに興味はなかった。過去に数回バベルで社会フォーラムの通訳を行ってきたにも関わらずである。コーディネーション・グループの他のメンバー(イベント全体の組織を手助けした翻訳家、翻訳を勉強している学生、数学の教師および2名の精神科医)は政治に積極的で自分自身を「アクティビスト」だと考えていた。通訳には参加しなかったが、彼らは自分たちの参加を政治的な活動だと考えていた。その内の何名かはフォーラムの運営に関わっている政治組織や集団のメンバーであった。そうでない者は、政治組織のメンバーではないにせよ、ギリシアの左派に関連する問題に非常に敏感であり、グローバリゼーションに対抗するイベント組織を援助する方法の一つとしてバベルへの参加を捉え、社会運動の発展について熟知していた。コーディネーション・グループは自身を活動家とみなしている通訳ではない人々によって構成されていた、と言えるであろう。コーディネーション・グループはESFのプロセスに参加する他のグループの諸特徴を直ちに備えていった、という点もまた重要である。彼らは2週間に一度オープンな会議を行い、そこには参加を希望する通訳者、コーディネーター、ESFへの参加者が集い、意思決定においては常にコンセンサスに基づいて全ての行動が決定された。このプロセスを通じて参加者はより政治的になり、ギリシア社会フォーラムによって運営される様々な活動に参加を希望するようになったのである。

Babels-elコーディネーション・グループによる最初の行動は、バベルのパンフレットやポスターにおいて「ボランティア」という言葉を「アクティビスト」に置き換えたことだった。バベルは「ボランティアの翻訳者と通訳者のネットワーク」ではなく、かわりに「翻訳と通訳に携わるアクティビストのネットワーク」と説明されるようになった。この言い換えは、ギリシアの文脈において「ボランティア」という言葉が使用される際の意味にも一部原因がある。この言葉は一年半前にあたる2004年のオリンピック・ゲームの際にギリシア政府によって濫用された。オリンピック・ゲームは国家的なチャレンジとみなされ、政府は大会を成功に終わらせることができると示さなければならなかった。この文脈において、国家の目的のために市民を「ボランティア」へと動員する力説が数多く行われた。Babels-elのコーディネーターはこの二種類の参加の間にある違いをはっきりさせ、より政治的なニュアンスをバベルの取組に与え、単なる善良な大義名分への参加なのではなく政治意識の表明である、と示す必要性を感じたのである。

品質において決定的に重要なことは、作業言語の数の問題であった。第4回ESFの政治的方向性とコーディネーション・グループの政治的見解がこの決定を生み出した。コーディネーション・グループは公式作業言語を決定しない、という合意に達した。ロンドンでの第3回ESFの後で、バベルはこれ以降のESFにおいて公式作業言語を設定しない、と合意に達していたのである。それ以前は、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語かドイツ語が公式作業言語であった。さらに、公式作業言語を持つという発想は第4回ESFの目的と矛盾する。ESFがギリシアで開催された理由は、バルカン半島や東欧諸国からの参加者を誘致するためである。ESFのオーガナイザーもバベルのコーディネーターも、英語を主要言語の一つとするだけでは不十分であることに気づいていた。東欧諸国からの参加者の多くは、ほとんど英語を話さない。その上、その言語が広く使用されていない国において第4回ESFが開催されるのは初めてのことであり、Babels-elコーディネーション・グループは全ての参加者が使用したい言語においてコミュニケーションをする機会を与えられるべきだと感じていた。最終的に、全ての部屋において一人の東ヨーロッパ言語の通訳がいなくてはならない、とBabels-elは合意に達した。結果として、作業言語の数は4つしかなかったロンドンでの作業言語の数に比べて5つに増加した。このことが実際に意味するのは、全ての部屋にギリシア語、英語、東欧言語一つ、要求に応じて西ヨーロッパ言語二つの通訳がいる、ということである。

当初は妥当な計画と思えたものの、深刻な潜在的重要性を抱えていた。このことが実際に意味したのは、バベルはほとんど全ての通訳の必要に応じければならない、ということである。結局、バベルは20言語の通訳を供給することとなった。合計210のセミナーをカバーするためにおよそ550名の通訳者が必要となる見積りになった。ギリシア語通訳のために150人が必要となり、その他400人はヨーロッパの様々な場所から来る。その時点では、誰一人として質の問題を気にかけてはいなかった。かくも多様な言語を使用するという選択のために質に影響が出ると考えた者は誰もいなかった。バベルのネットワークが存在せず、ESFそれ自体への動員が限られている諸地域で通訳者を探しだす、という絶望的な努力という結果をもたらしたにも関わらず。

言語の数は別として、質の問題もまた通訳の組織される方法および不適切な動員との関連において考察されなければならない。通訳が組織される方法を良く見れば、全てのギリシア語のブースが、英語やフランス語へのリターン(retour)通訳iiを、他のブースがリレー通訳iiiを行うためにしなければならないのは最初から明白であった。なぜなら、ギリシア語で作業ができる非ギリシア人通訳者の数は非常に限られているためである。東ヨーロッパ言語のブースも似たような状況にある。この取決めはブース内の通訳がプロフェッショナルである場合には何の問題も起こさなかった。なぜならギリシア語や東ヨーロッパ言語を母語とするプロの通訳者は、原則として自分の母語からおよび母語への双方向で通訳ができるように訓練されているからである。しかしながら、ブース内の通訳がプロフェッショナルでなく、自分の母語から英語やフランス語へ通訳するよう要請された際にはいくつかの問題が生じることとなった。

ギリシアおよび東ヨーロッパ、とりわけバベルのネットワークが少数の例外を除いてほとんど存在しない東ヨーロッパにおける不適切な動員に関して言うと、プロの通訳者に連絡を取るのは難しく、ESFに参加するよう彼らを説得するのは更に困難であった。最良の場合においては、ローカルなフォーラムのオーガナイザーがプロの通訳者に連絡を取る手助けをしてくれた。Babels-elはESFのオーガナイザーと一緒に行くルーマニアへの旅行を実現させた。今では明らかなのだが、バベル単独では通訳者を動員することは不可能である。バベルへの動員はESFへの動員と手に手を取って行われなければいけない。

そして、通訳者が自身のESFへの参加をどのように考えていたかを見ておく必要もある。東ヨーロッパに関する限りでは、フォーラムの政治的方向性のためにおじけづいたり、かかわることによって多くの時間が取られてしまうのではないかと恐れ、それはキャリアにダメージを与えることにつながるため、彼らの多くは非常に慎重であった。そうでなければ、単に無報酬でサービスを提供することを拒否した。なぜなら、彼らの国で生き延びるために様々な仕事に就くことが強いられているからである。

ギリシアにおいては状況は少しばかり異なる。社会フォーラムに参加するよう依頼されたプロの通訳者の多くは、ボランティアでの仕事ということを含むために気が進まなかったのである。当初、彼らの多くは翻訳と通訳のネットワークが形成されることにおじけづき、意義申し立てを行った。なぜなら、そういった試みが彼らが獲得した権利、とりわけ彼らが確立するにいたった高い報酬にダメージを与えうると考えたからである。このようなネットワークをギリシアに作ることは、通訳者のステイタスを悪化させることにつながる、と主張した。通訳は無料で提供されるため、参加者は安価なサービスだと考えるからである。別の意義申し立ては、プロフェッショナルではない通訳も受け入れるバベルの原則に対して行われた。バベルによって訓練を受けた後でプロではない通訳者が自身をプロフェッショナルとみなし、安い報酬で市場に参入してくるだろう、と考えたからである。最後に述べるが重大なことは、通訳の仕事はフリーランスであるため最後の瞬間までイベントに参加できるかどうかは確かにならない、と彼らは明言した。全体として、彼らの多くは参加を政治的な行動ではなく、単なるボランティアの介入だとみなした。バベルの原則を共有し憲章に賛同した人たちの中にさえも、最後の瞬間における離脱者が続出した。なぜならちょうどその時期に仕事を提供された人々がプロの通訳者の中におり、そのためESFには現われなかったのである。だが、バベルの呼びかけに素早く答え、この任務のために多くの時間を割き努力を惜しまなかったプロの通訳者の事例にも言及しなければフェアではないだろう。前向きな答えを寄せてくれたプロの通訳者の多くはギリシアの左派に何らかの関わりがあり、これまでのESFにおけるバベルの仕事についてあらかじめ知識を持っていた。

フォーラムに参加した500名の通訳者の内、プロの通訳者は180名だけだったことに言及しておくことは実際的な意味がある。そしてその180名の内、東ヨーロッパおよびギリシアから来たのは39名だけであった。いずれにせよ、141名のプロの通訳者が西ヨーロッパおよびすでにフォーラムを組織したことがあるコーディネーション・グループからの参加となったのは偶然ではない。

ということで、別の疑問が浮上してくる。第4回ESFに参加したその他320名の通訳者はどういった人々だったのか?私たちが接触した大多数のプロの通訳者が取った態度を考慮して、異言語間の媒介人となることが可能な政治活動家を動員することにした。ほとんどの場合、彼らは喜んで参加し、バベルが行う同時通訳のための事前準備に出席することに同意した。彼らの内には過去に国際会議で媒介役を担ったことがある人々もおり、逐次通訳の経験者もいたが、同時通訳の経験者は誰もいなかった。ブースにアクティビストが入る利点は、英語の深い知識がなくてもフォーラムで議論される問題について完全に精通している、ということである。 ブースにアクティビストが入る欠点は、彼らはギリシア語から英語への通訳をすることはできない、ということである。政治活動家は、ロジスティックの他のセクターへの参加と同様の援助の方法の一つとして、バベルへの参加をみなしていた。通訳を学習する、またはプロの通訳として働く志は全くなかった。

しかしながら、政治活動家だけでは十分でなかった。Babels-elはギリシアおよび国外に居住する学生に接触することを決定した。最初は、得られる経験の利点を力説して、様々な大学で翻訳や通訳を学んでいる学生を動員しようとした。さらに通訳が必要となってくると、バベルの準備に出席した後で彼らがなんとかやっていけるようになることを期待しながら、外国語学習者に接触を取ることになった。最終的には、バベルによって行われた三ヶ月間の事前準備に参加した、「これが初めての経験となる」通訳者をギリシア語ブースに多数抱えることとなった。これらの人々が皆英語からギリシア語への同時通訳が可能かどうかは疑わしく、逆方向については言うまでもなかった。

この点において、しかしながら、プロではない通訳者のやる気のために思慮を巡らせる必要がある。なぜ彼らはバベルに参加してフォーラムの組織を手伝う気になったのだろう?通訳の学習者にとってESFへの参加は興味深い経験である。なぜなら、実践の機会が与えられるからだ。外国語学習者は、バベルは通訳の無料レッスンを提供してくれると考えた。実際、何名かはフォーラムに参加し通訳に従事した事実を示す証明書を要求した。私が知る限り、ESFが組織される際は常に、参加証明書を発行するべきか否かについての議論がバベル内で持ちあがる。

プロではない通訳者の参加は、二つの興味深い次元を備えている。第一に、その一員となることで、プロセスとESFで議論される事柄について知りうる機会が多くの若い人々に与えられる。第二に、そしてこれがもっとも驚くべきことなのだが、参加した人々の中には社会フォーラムの政治に全く興味を持たない者もいる。事実、ESFの原則に完全に敵対的な人々もいる。いずれにせよ、プロフェッショナルとそうではではない通訳者がなぜESFに参加したか、あるいははなぜ参加しなかったか、その理由をより詳細に調査すると非常に面白い結論に辿り着く。

通訳の質は上に記された全ての要素の結果であることは、今では明らかである。ボランティア/アクティビスト通訳のオープンなネットワークを構築する決定の帰結であり、この場合東欧からの参加者を動員することを望んだESFのオーガナイザーの政治的ゴールの帰結であり、作業言語の数の帰結であり、通訳組織の責任を負うバベルの調整グループの見通しの帰結であり、社会フォーラムの動員の程度の帰結であり、そして、疑いなく、この地域の言語地図における国家語の地位の帰結である。

これは当然のことなのだが、第4回ESFでの通訳の品質は悩ましいものだった。苦しい状況にあったのは、プロの通訳者の数が少なかったからだけではない。プロではない通訳者に適切な準備が施されなかったからだけではない。それだけでなく、いくつかのブースに人が足りなかったからである。驚くべきことに、ESFへの参加者は理解を示してくれた。その上、ESFへの参加者がブースに入って通訳を手伝う場面さえあった。通訳があてにならない、という苦情はバベルの事務所に一件も届くことはなく、皆がバベルの努力を讃えてくれているようであった。結果として、ESFの参加者はなぜ他のあらゆる会議の参加者のようには振る舞わないのか、と誰もが疑問に思うこととなった。私の理解では、この態度は確実に、ボランティアのネットワークを作り上げようとしたESFのイニシアチブに関連している。第4回ESF参加団体内の少数が支持したがった「社会基盤 social ground」のコンセプトにも関連しているだろう。しかしながら、より地域的なレベルでは、バベルのネットワークを作る決定は政治的なものだった。ギリシア社会フォーラムは、ギリシアにおいて望んだほどには可視化されず、反響を呼ぶこともできなかった。第4回ESFをアテネで開催することによって、GSFはその参加者の範囲を広げ、フォーラムの原則とプロセスを人々が知る機会を与えることになるだろう。この意味において、バベルに参加するよう人々を動員することは、多くの人々がESFそれ自身とそれを構成する政治組織について知ることにつながる。

結論として、第4回ESFにおける言語と通訳の問題はESFの政治に内在的に関連していると言える。通訳は、東ヨーロッパからの参加者を動員する梃子として利用された。そしてまた、ESFおよびその政治組織の政治に全くかかわりのない人々に広めさせる手段としても利用された。それゆえ、この必要に対する答えであるバベルは、ESFがコミュニケーションと動員を緊急に必要とする事情の外部で形成されたのである。この点において、これら二つの優先事項を共にすることは避けられなかったのだ。

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i 詳しい情報については以下のウェブサイトを参照。http://www.babels.org

ii リターン(retour)は通訳で使用される用語。通訳ブースは常につながっており、いくつかのブースが直接とある言語への通訳ができない場合にリターン通訳が行われる。例えば、スピーカーがギリシア語で話し、英語に通訳されなければならない場合、通常の場合通訳は英語ブースから発せられなければならない。しかし、英語話者である通訳者がギリシア語から英語への通訳ができない場合は、ギリシア語から通訳が発せられる。この場合、ギリシア語ブースの通訳者は英語への通訳もこなすことになる。リターン通訳は広く使用されていない言語の場合によく行われる。

iii リレー通訳とは「二重通訳」を実際に意味するまた別の通訳用語である。たとえば、アルバニア語からスウェーデン語への通訳が必要で、その組み合わせで作業ができる通訳者が誰もいない場合、アルバニア語は英語かフランス語に通訳され、ついでスウェーデン語ブースが英語あるいはフランス語からスウェーデン語へ通訳する。当然のことながら、通訳の受け手がこの複雑なプロセスに気づくことはない。リレー通訳は最後の手段として使用される。バベルは常に直接通訳を選択する方向である。

http://translate.eipcp.net/strands/04/lampropoulou-strands01en
Building Translation Networks in Social Movements